前回は、幸田先生の「走れメロス」の一部を聞いていただきました。ずいぶんカットもありました。
幸田先生はカットについて「朗読の楽しみ」の中で、こう述べられています。
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朗読にとっては情景や動作などが克明に描かれすぎているという傾向は、ちょっとやりにくいところがあります。
私は原作を大切にしますから、一字一句そのまま読むことが鉄則。ただし、どんな作品でも時間の制約があることが多いので、やむなくカットする部分が出てきます。そこで、どの部分を切るかが問題になるのです。<間>を生かすように切るというのが、そのときの原則になります。
たとえば、「彼女ははっと驚いて一瞬息をのみ、そしてゆっくりした口調で『あなたが犯人なの』と言った」などという原文では、ぜんぶをそのまま朗読してしまうと、たんなる、<音訳>になりかねません。聞いているほうはドラマチックな山場を期待しているのに、それが山にならなくなるのです。
そこで、たとえば「一瞬息をのみ、そしてゆっくりとした口調で」という箇所をカットし、朗読ではそこに十分な、<間>を入れてみます。
「彼女ははっと驚いて、<間>『あなたが犯人なの』と言った」
要するに、カットする部分を、朗読の<間>やリズムで表現できるならば、そこはカットできることになります。(p.108)
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行間の<余韻>で情景をわかってもらう・・・う~ん、むずかしい!
朗読では、セリフの一行をいかに感情豊かに読む、に留まらず、画像のない世界で、セリフに至る情景を的確に表現しつつ、聞き手に息を合わせておもむろにセリフが語られる。そしてそれを受けて相手が喋る。この相手も同じ読み手。そして続く地の文。これも同じ読み手。この一連の絶妙の<タイミング>、<間>を、朗読ではひとりがこなすことになります。
<間>の問題と<セリフ>の問題がこんがらがってきましたが、実際に、この二つは別々に語っても意味がないのだと思います。
朗読って奥深い、と思いませんか?