声の遺産

ここではプライベートな録音データなどを公開します

 サーカス

    中原中也

 春日狂想

    中原中也  

 永訣の朝

    宮澤賢治

 

    萩原朔太郎

ナンセンス
        吉原幸子

風 吹いている
木 立っている

ああ こんなよる
立ってゐるのね 木

風 吹いてゐる
木 立ってゐる 
音がする

よふけの ひとりの 浴室の
せっけんの泡 かにみたいに吐きだす 
にがいあそび ぬるいお湯

なめくぢ はっている
浴室のぬれたタイルを
ああ こんな夜 
はっているのね なめくぢ

おまへに塩をかけてやる
するとおまへは ゐなくなるくせに そこにゐる

   おそろしさとは
   ゐることかしら
   ゐないことかしら

また 春がきて また 風が 吹いてゐるのに
わたしはなめくぢの塩づけ 
わたしはゐない
どこにも ゐない

私はきっと せっけんの泡に埋もれて 流れてしまったの

ああこんなよる

散歩   ・・「八月の鯨」に

             吉原幸子

遠い沖で ゐない鯨が潮を吹き
近い磯で 貝たちがひそひそつぶやく

淡紅色のアジサイが風に揺れて匂い
海の青が濃い

<美しい朝 のやうね>
<ええ 美しい朝よ>

さうして 盲ひた姉と背のこごんだ妹は
血管の浮き出た手をしっかりと握りあって
散歩にゆく 岬の突端へ

あれは 古い記憶の突端?
過去の? 未来の?
何の突端?

六十年前と同じリズムで
海は鐘の音を鳴らし続け
老いた二人は ミイラのようによろめき歩み
けれど あの晴れやかさは何だったのか

<美しい朝 のやうね>
<ええ 美しい朝よ>

それは ふたりの歩いて行った先が
かって鯨を見た日のぼんやりとした思い出でも
ふたたび鯨を見る日への熱心な期待でもなく
ただ単純に 今日と いふとき
美しい朝に つづく 美しい今日へと
まっすぐに向かってゐたからだ
と突然に気がつく

さて 猫たちのオシッコ匂ふ
さびしい都会のわたしたち
誰と手をつないで どこを散歩しようか

歩き疲れて うとうと眠れば
波の音がかすかに鳴って
二十四時間 の次は
すぐ永遠だが