「あのひと」吉原幸子

 

  あのひと

    吉原幸子

あのひとは 生きてゐました
あのひとは そこにゐました
ついきのふ ついきのふまで
そこにゐて 笑ってゐました

あのひとは 生きてゐました
さばのみそ煮 かぼちゃの煮つけ
おいしいね おいしいねと言って
そこにゐて 食べてゐました

ついきのふ 八十年まへ
あのひとは 少女でした
あのひとの けづった鉛筆
あのひとの こいだぶらんこ

ついきのふ 三年まへにも
あのひとは 少女でした
あどけない かぼそい声で
ウサギオーイシ うたって

あたしのゑくぼを 見るたび
かはいいね かはいいねと言って
あったかいてのひら さしだし
ぎゅっとにぎって ゐました

あのひとの 育てた花
あのひとの 貼った障子
あのひとの つくったお手玉
あのひとの 焚いた落ち葉

あのひとの とかした櫛
あのひとの 眠ったふとん
あのひとの 書いた手紙
あのひとの 歩いた道

あのひとの 見た夕焼け
あのひとの きいた海鳴り
あのひとの 恋の思ひ出

あのひとは 生きてゐました

あのひとは 生きてゐました