今回は、朗読における日本語アクセントの研究です。
日本語は、英語などの強弱アクセントとは違って、高低アクセントであることはよくご存じでしょう。
音楽で言うと、「ミ」と「ソ」でできている・・・、そう言える気もしますが、そんな単純なものでもないような気もします。詳しく考えてみましょう。
キジ、イヌ、サル、モモタロー、を音程で言うと、
ミソ、ミソ、ソミ、ミソミミー、と表現もできます。
新明解日本語アクセント辞典(三省堂)では
と表現しています。
NHK放送文化研究所のホームページを見ると、最近は表示方法が変わったようです。
この表現方法を使いますと
キジ、イヌ、サル、モモタロー、をこの方法で表現すると、
キジ、イヌ、サ\ル、モモ\タロー、と表記するそうです。
キジは音程でいうとミソとキがジより低いのですが、NHK放送文化研究所の見解では、基本的にはキとジは同じ高さ(平板)なのですが、強調するような場合にキが低いのだそうです。(外国人に日本語を教えるときは、「日本語は必ず、1語目と2語目で高さが変わります」と教えます。なかなかうまく説明するのはむずかしいですね。)
日本語のアクセントの型には以下の4種類があるのはご承知のとおりです。
1.頭高型 (例) パ\ンダ([パ]のあとで下がる )
2.中高型 (例) ニオ\イ([オ]のあとで下がる )
3.尾高型 (例) ユキ\ (助詞が付いた場合に、[ユキ\カ°]のように
[キ]のあとで下がる )
4.平板型 (例) サクラ ̄( 下がり目がない、助詞が付いても
[ラ]のあとで下がらない )
さて、泉田行夫は、高低アクセントは、あくまで基本の型、一語一語の持つ型であって、これらを繋げて行う文章の音読となると、いろいろ変化が起こることを語っています。
・二つの音程の高低だけでなく、もっと多くの音程が存在する
・高低だけではなく、強弱、あるいは音楽で言うデクレシェンドなども影響する
ということになります。
ここで解説を聞いてみます。
しかし、これは単語のひとつひとつのアクセントの印をつけたようなものです。私たちは、その単語をいくつかを並べて話をしている訳ですが、この単語を続けて話をいたしますと、つけた印どおりのアクセントの言い方で話をしていないのに気づかれると思います。例えば、この作品の題の、「蜘蛛の糸」にしても、アクセントの印どおりに読むと、「く\もの」「い\と」、となります。「くものいと」といいますと、苗字が雲野で名前がイトという、女の人の姓名のような感じがしますね。私たちは、この文章の題として読むときは、「く\ものい\と」、と言います。これは、「蜘蛛の」の「く」に高いアクセントがあるために、そのあとに続いた「いと」のアクセントが弱められて、低く続くからです。「蜘蛛の糸」、お分かりでしょうか? 「いと」の方は平らになったように聞こえるでしょうが、決して「いと」のアクセントを失ったわけではなくて弱められて低くなっただけだと、お考えください。
※ ※ ※
「くもの」をソミミと読めば、「いと」はソミではなくてファミとアクセントが少し弱められる。あるいは「いと」の「い」を「の」と同じ高さのミにしてソミミミドと一段低い高低となると言っています。と、いいながら、「い」のアクセントが弱められたために「と」はミよりも低くなっています。また、「ものい」を同じ高さの一つの言葉と表さず、「くもの」で切る、いや切るのでなく、「い」を少し強めのアクセントて(音程を上げるのではなく)「いと」という次の単語として読んでいます。
ソミミ・ミドと書いた方がわかりやすいかも知れません。いやもっと正確に言うと、ソとかミドとかの音程で表すことすら正しくありません。いずれにしても、「くものいと」が高低2音でできている、などという単純なものではありません。
ためしに、ふつうの文章のすべての文字を同じ強さ、同じ間隔で、高低2音のみで読んでみてください。ロボットが読んでいるみたいに聞こえるでしょう。
以前、日本語はだんだん音が下がっていく傾向があるので、注意して高く始め、新しい文章では「たてなおし」て高い音から始める必要性があると書いたことがありました。幸田先生の著書「朗読の楽しみ」の P.78 にある「音が下がらないように」とも関係しています。
くどくどと書きましたが、要するに、「日本語の高低アクセントはたいへん重要ですが、文章にしたとき、高低2音で成り立っているという単純なものではない」ということをご理解いただきたかったのです。