「泉田行夫の『蜘蛛の糸』」朗読と解説(7)

 『蜘蛛の糸』の朗読の研究、今回は(三)、もとの極楽の場面です。
 (二)は地獄での出来事。カンダタの感情の浮き沈みとともに、ハラハラドキドキいたしました。まさに激動の世界でした。
 (三)に入りますと、一転、この様子をごらんになっていたお釈迦様の姿と、極楽の風景です。まるで春のように穏やかな風景です。(一)と変わらない風景なのですが、悲しい事件の後だけに、お釈迦様のお気持ちを察すると、同じ景色であることが、ことさらに憂いをおびて見えます。

 解説です。

 そして、(三)に入りますと、極楽のお釈迦様へと話が戻ってまいりますが、お釈迦様のお気持ちを、心を込めて表現してみたいものです。そのあと、また、極楽の風景描写がでてきて、もとの明るさに帰って、話が終わる訳です。

 本文の朗読です。

 御釈迦様は極楽の蓮池のふちに立って、この一部始終をじっと見ていらっしゃいましたが、やがてが血の池の底へ石のように沈んでしまいますと、悲しそうな御顔をなさりながら、またぶらぶら御歩きになり始めました。自分ばかり地獄からぬけ出そうとする、カンダタの無慈悲な心が、そうしてその心相当な罰をうけて、元の地獄へ落ちてしまったのが、御釈迦様の御目から見ると、浅間しく思召されたのでございましょう。
 しかし極楽の蓮池の蓮は、少しもそんな事には頓着致しません。その玉のような白い花は、御釈迦様の御足のまわりに、ゆらゆら萼を動かして、そのまん中にある金色の蕊からは、何とも云えない好い匂が、絶間なくあたりへ溢れて居ります。極楽ももう午に近くなったのでございましょう。

 全体を通しての解説です。

 みなさん、本をいかに読んでいくか、ちょうど、絵かきさんが、絵を画いているあいだが楽しいように、朗読も、読み方をあれこれと探しているあいだが楽しいものですね。
 ま、私なりの説明になりましたが、それを思い返しながら、何度も「蜘蛛の糸」の朗読を聞いていただきたいと思います。そして、これを土台にして、自分の朗読を作り上げてみてください。
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 幸田弘子先生は、「解釈こそ朗読だ」とおしゃいましたが、作品の持つ力を探り出し、作者の意図を探り出し、作者に代わっていかに伝えてゆくか、朗読の醍醐味はそこにあるように思えます。
 黙読で筋を理解して読む、ということと、声に出して内容を聞き手に伝えていくことの違い。そのために、この言葉がなぜ、この位置にあるか、何故ほかの言葉ではいけないのか。そんな読み方が、朗読には求められているのだと思います。

 また、朗読に「正解」があるわけではありません。みなさん、それぞれ個性があるのですから、それぞれの読み方があっていいのだと思います。
 泉田行夫は「指導すれば指導するほど、私の読み方に似てきてしまって大事な個性が失われてしまう。気を付けなければいけないことだ。」と語っていました。
 幸田弘子先生も、ご指導の折、読み手の個性についてはたいそう気を遣っておられました。

 とはいえ、音声表現するためには、それなりのテクニックも必要です。朗読の、発声発音の基礎についても、大切なことがらを泉田行夫は語っていますので、次回からそれらを解説したいと思います。

 その前に、もう一度、全編を、テキストなしで聞いてみませんか?
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