言葉の音楽性(3)

 今回も、幸田先生の朗読の「音楽性」を鑑賞しましょう。
「たけくらべ」で信如が美登利の住まいの前で鼻緒を切る場面の続きです。
 (キングレコード 朗読CDシリーズ「心の本棚~美しい日本語」名作を聴く より)

 此處は大黒屋のと思ふ時より信如は物の恐ろしく、左右を見ずして直あゆみに爲しなれども、生憎の雨、あやにくの風、鼻緒をさへに踏切りて、詮なき門下に紙縷を縷る心地、憂き事さま/″\に何うも堪へられぬ思ひの有しに、飛石の足音は背より冷水をかけられるが如く、顧みねども其人と思ふに、わな/\と慄へて顏の色も變るべく、後向きに成りて猶も鼻緒に心を盡すと見せながら、半は夢中に此下駄いつまで懸りても履ける樣には成らんともせざりき。

 庭なる美登利はさしのぞいて、ゑゝ不器用な彼んな手つきして何うなる物ぞ、紙縷は婆々縷、藁しべなんぞ前壺に抱かせたとて長もちのする事では無い、夫れ/\羽織の裾が地について泥に成るは御存じ無いか、あれ傘が轉がる、あれを疊んで立てかけて置けば好いにと一々鈍かしう齒がゆくは思へども、此處に裂れが御座んす、此裂でおすげなされと呼かくる事もせず、これも立盡して降雨袖に侘しきを、厭ひもあへず小隱れて覗ひしが、

 さりとも知らぬ母の親はるかに聲を懸けて、火のしの火が熾りましたぞえ、此美登利さんは何を遊んで居る、雨の降るに表へ出ての惡戲は成りませぬ、又此間のやうに風引かうぞと呼立てられるに、はい今行ますと大きく言ひて、其聲信如に聞えしを恥かしく、胸はわくわくと上氣して、何うでも明けられぬ門の際にさりとも見過しがたき難義をさま/″\の思案盡して、格子の間より手に持つ裂れを物いはず投げ出せば、

 見ぬやうに見て知らず顏を信如のつくるに、ゑゝ例の通りの心根と遣る瀬なき思ひを眼に集めて、少し涕の恨み顏、何を憎んで其やうに無情そぶりは見せらるゝ、言ひたい事は此方にあるを、餘りな人とこみ上るほど思ひに迫れど、母親の呼聲しば/\なるを侘しく、詮方なさに一ト足二タ足ゑゝ何ぞいの未練くさい、思はく恥かしと身をかへして、かた/\と飛石を傳ひゆくに、

 信如は今ぞ淋しう見かへれば紅入り友仙の雨にぬれて紅葉の形のうるはしきが我が足ちかく散ぼひたる、そゞろに床しき思ひは有れども、手に取あぐる事をもせず空しう眺めて憂き思ひあり。

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 ふたりの「思い」、すれ違い、そしてポツンと残った「紅入り友仙」。
 拾って追いかけて行って、信如に持たせたいようなシーン。
 ことばで、映画のシーンを映し出し、オペラのクライマックスが演奏されています。

 どうぞ、キングレコード 朗読CDシリーズ「心の本棚~美しい日本語」名作を聴く 樋口一葉 で全編を通してお聴きください。