セリフの読みはむずかしい(6)

 いちばん話したかったことを書きます。それは、幸田先生の「セリフ」と「地の文」の「つなぎ」です。
 「(セリフ)と、言いました」という文章では、セリフを言い切って、少し間があって「と」と高い声で続けることがよくあります。または、この「と」を滑らかに続けるためにセリフをはじめから地の文として読んでしまうこともよくあります。
 しかし、幸田先生の「つなぎ」は違います。セリフのように聞こえていたのに、いつの間にか地の文に続いています。登場人物が感情豊かに話しているセリフと思って聞いているうちに、冷静な地の文になっているのです。芝居のように状況がよくわかるのに、いつの間にか文学に移っています。

 少し、聞いてみましょう。

 特に、「たけくらべ」という、もともと「 」などついていない文章だから、という考え方もあるかも知れません。独特のリズムを持つ「地の文」の中に組み込まれた「セリフ」を読んでおられるのだ、とも解釈できますが、とにかく、樋口一葉のリズムを壊さず、心地よい文学の朗読の中に、セリフが組み込まれてしまっています。
 もう少し詳しく分析すると、ひとつの文章の中で、初めはセリフとして大きな抑揚で読まれた文章が、途中から抑揚が抑制され、次第に落ち着いた地の文のナレーションに移り変わっていきます。これは見事です。

 どんな作家のどんな作品にもこれが通じる訳でもないでしょうし、同じ作品の中でも、いろいろに使い分けることもあるのでしょうが、「美しい日本語」を「朗読」する上で、とても参考になる「お手本」だとは思いませんか。