「たけくらべ」のテーマはセリフからも浮かび上がってきます。
美登利が大人になってゆく様が、セリフを通して語られます。「セリフを読むのはむずかしい」というのは、実は、このセリフがこの小説の最も深いところを突いている場合があるからではないでしょうか。その読み方でこの朗読の本題の伝わり方が左右されるからではないでしょうか。
正太郎と美登利の会話
好く似合ふね、いつ結つたの今朝かへ昨日かへ何故はやく見せては呉れなかつた、と恨めしげに甘ゆれば、美登利打しほれて口重く、姉さんの部屋で今朝結つて貰つたの、私は厭やでしようが無い、とさし俯向きて往來を恥ぢぬ。
美登利の母と正太郎の会話
おゝ正太さん宜く來て下さつた、今朝から美登利の機嫌が惡くて皆なあぐねて困つて居ます、遊んでやつて下されと言ふに、正太は大人らしう惶りて加減が惡るいのですかと眞面目に問ふを、いゝゑ、と母親怪しき笑顏をして少し經てば愈りませう、いつでも極りの我まゝ樣、嘸お友達とも喧嘩しませうな、眞實やり切れぬ孃さまではあるとて見かへるに、美登利はいつか小座敷に蒲團抱卷持出でゝ、帶と上着を脱ぎ捨てしばかり、うつ伏し臥して物をも言はず。
美登利の胸の内と正太郎への言葉
成事ならば薄暗き部屋のうちに誰れとて言葉をかけもせず我が顏ながむる者なしに一人氣まゝの朝夕を經たや、さらば此樣の憂き事ありとも人目つゝましからずば斯く迄物は思ふまじ、何時までも何時までも人形と紙雛さまとをあひ手にして飯事許りして居たらば嘸かし嬉しき事ならんを、ゑゝ厭や厭や、大人に成るは厭やな事、何故このやうに年をば取る、最う七月十月、一年も以前へ歸りたいにと老人じみた考へをして、正太の此處にあるをも思はれず、物いひかければ悉く蹴ちらして、歸つてお呉れ正太さん、後生だから歸つてお呉れ、お前が居ると私は死んで仕舞ふであらう、物を言はれると頭痛がする、口を利くと眼がまわる、誰れも/\私の處へ來ては厭やなれば、お前も何卒歸つてと例に似合ぬ愛想づかし、
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幸田先生がおっしゃる「読みの深さ」とは、樋口一葉がどんな気持ちでこの文を書いたかを理解しようと探り、どう読み手に伝えるかが重要なこと。そして、それを試行錯誤する努力のことを「セリフの読みはむずかしい」と表現されていたのでしょう。