セリフの読みはむずかしい(2)

 幸田先生のセリフは文学にぴったりはまり、誰のセリフかよくわかりました。
 先生は次のような考えでセリフを朗読されていたようです。

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 私は、作者がはっきり「 」でくくっているセリフなどは、作中人物の心に寄り添って読むことにしています。それが作者の意図だと思うし、またどのような状態で言われるセリフなのか、聞いている人にもわかりやすいと思うからです。ただし、声色(こわいろ)は使いません。(「朗読の楽しみ」p.82
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 とりあえず、少し、幸田先生の「たけくらべ」に登場する人物のセリフの部分を聞いてみましょう。
(いずれも、朗読CDシリーズ「心の本棚~美しい日本語」名作を聴く キングレコード より)

①長吉(横町組の子供大將、歳は十六、仕事師の息子、帶は腰の先に、返事は鼻の先にていふ物と定め、にくらしき風俗)

 己れの爲る事は亂暴だと人がいふ、亂暴かも知れないが口惜しい事は口惜しいや、なあ聞いとくれ信さん、去年も己れが處の末弟の奴と正太郎組の短小野郎と萬燈のたゝき合ひから始まつて、夫れといふと奴の中間がばらばらと飛出しやあがつて、どうだらう小さな者の萬燈を打こわしちまつて、胴揚にしやがつて、見やがれ横町のざまをと一人がいふと、間拔に背のたかい大人のやうな面をして居る團子屋の頓馬が、頭もあるものか尻尾だ尻尾だ、豚の尻尾だなんて惡口を言つたとさ

②信如(龍華寺の跡取り息子。千筋となづる黒髮も今いく歳のさかりにか、やがては墨染にかへぬべき袖の色、親ゆづりの勉強もの)

 それではお前の組に成るさ、成るといつたら嘘は無いが、成るべく喧嘩は爲ぬ方が勝だよ、いよいよ先方が賣りに出たら仕方が無い、何いざと言へば田中の正太郎位小指の先さ

③美登利(全盛の遊女である大巻の妹。色白に鼻筋とほりて、口もとは小さからねど締りたれば醜くからず、物いふ聲の細く清しき、人を見る目の愛敬あふれて、身のこなしの活々したるは快き物なり)

 これお前がたは三ちやんに何の咎がある、正太さんと喧嘩がしたくば正太さんとしたが宜い、逃げもせねば隱くしもしない、正太さんは居ぬでは無いか、此處は私が遊び處、お前がたに指でもさゝしはせぬ、ゑゝ憎くらしい長吉め、三ちやんを何故ぶつ、あれ又引たほした、意趣があらば私をお撃ち、相手には私がなる

正太郎(質屋・田中屋のひとり息子。家に金あり身に愛嬌あれば人も憎くまぬ長吉の敵。祭りの日のいでたちは、赤筋入りの印半天、紺の腹がけ、しごいて締めし帶の水淺黄も縮緬の上染)

 美登利さん、夕べはごめんよ、、お祖母さんが呼びにさへ來なければ歸りはしない、そんなに無暗に三五郎をも撃たしはしなかつた物を、今朝三五郎の處へ見に行つたら、彼奴も泣いて口惜しがつた、己れは聞いてさへ口惜しい、お前の顏へ長吉め草履を投げたと言ふでは無いか、彼の野郎乱暴にもほどがある、だけれど美登利さん堪忍してお呉れよ、己れは知りながら逃げて居たのでは無い、飯を掻込んで表へ出やうとするとお祖母さんが湯に行くといふ、留守居をして居るうちの騷ぎだらう、本當に知らなかつたのだからね

 それぞれの登場人物の性格をみごとに表現されています。声色(こわいろ)を使っておられないのに、その人物が浮かび上がるように思えます。