樋口一葉の息づかいを手渡す

 「樋口一葉本人が語っているよう」という声は、たくさん聞かれます。例えば、杉本敦子さん(元女子美西組組長)は「幸田弘子の会」のプログラムに、こう書いておられます。
   ※   ※   ※
 幕が上がると、正座しているのは「幸田弘子」というより「樋口一葉」ではないかと、忽ちその世界にひきこまれてしまう。前人未踏の朗読の世界を、「舞台芸術」にまで引き上げたのは、まさに幸田弘子の努力と情熱の賜物に他ならない。
   ※   ※   ※
 幸田先生は「樋口一葉」を演じておられるのではない。樋口一葉になり切って作品を聞き手に手渡そうとされる。樋口一葉がどんな境遇で、どんな人々に出会い、どんなことを考えていたかを徹底的に調べ、あらゆる著作や日記を読み、その息づかいに迫ろうとなさる。どれだけ深く作品を理解されていたかは、幸田先生の著書「朗読の楽しみ」の五の巻「樋口一葉こそ最高の音楽」を読めばおわかりいただけるでしょう。幸田先生の作者や作品に対する「謙虚さ」も忘れてはならないと思います。
 「朗読の楽しみ」の中に、このような一節があります。
   ※   ※   ※
 文学を手渡すということは、それぞれの作家なり作品なりの個性をそのまま手渡す、ということでもあります。・・・・私自身、いまだにこれは課題となっています。「幸田弘子」が前面に出ないように、作品をどこまで解釈し、消化できるか、そのことばかり考えてやってきたつもりですが、いつまでたっても、これでいいというところには行き着けません。毎回たたかいながら、これからも私は、読み、手探りしていくのだと思っています。(p.38)
   ※   ※   ※
 「努力」と「情熱」と「謙虚さ」、幸田先生の朗読から学ぶべきものは、テクニックだけではなさそうです。