全身全霊を打ち込んだ結果

 「一葉自身が語っているようだ」という言葉に対して、幸田先生の長女・三善里沙子さんは、次のように解説しておられます。(幸田弘子の会2012年パンフレット)
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 極論かもしれないが、絵も文章も独りで書ける。作品は個人と切り離されるからだ。しかし、幸田弘子の舞台朗読は、聴いて下さる方がいなければ成立しない。しかも、そのときのお客様の“気”によっても、舞台は善し悪しに影響し大きく変化していくのだ。
 あるときはささやき声で、あるときは絶唱でお客様に届ける朗読は、全身全霊で朗読する幸田の世界を、また全身全霊で受けとめて下さるお客様の存在があって、初めて成立する特別な『結界』であり、聖域なのである。
 その結界が張られ、聖域になって初めて作者の魂が降りてくる。幸田弘子のカラダを使って、作者が思いを語ることができるのだ。
 「まるで一葉が乗り移ったようだ」などというお客様の言葉は、そういうことなのだろう。
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 幸田先生が舞台に向けて取り組まれる姿をいちばん近くで見てこられたお嬢様だからこそ、言えることばなのでしょう。