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追悼公演会の報告

2023年11月23日 「朗読の楽しみ」

幸田弘子が一生をかけて目指した朗読の本質とは


追悼公演会のお知らせ

令和5年(2023年) 11月23日

幸田弘子 追悼公演会を開催します

幸田弘子が
一生をかけて目指した
朗読の本質とは、、、

朗読とは何かを、
朗読と映像、座談会により、
立体的に探ります

特別友情出演として
語り部・かたりすと
平野啓子さんが
朗読を披露くださいます

永年、幸田弘子とともに
一葉忌の舞台に立ってきた
鈴木千秋・中里貴子が
「大つごもり」を
朗読いたします

幸田弘子の朗読に携わった
多くの方々による
座談会「朗読とは何か」
も用意されています

朗読を愛する全ての方々に
聞いていただきたい
一回限りの会!

お楽しみください

 

日時:2023年1123日 (木・祝)
開場:13:30       開演:14:00

会場:日比谷図書館文化館
   日比谷コンベンションホール
  (日比谷公園内図書館地階)
   アクセス

入場料:3,500円
    (非売品特製DVD付き)

メールでのお問合せ:
 koudahirokonokai2020@gmal.com
または
 lisakomx@gmail.com

幸田弘子の会
   090-2627-3914(三善里沙子)


朗読の鑑賞「蜘蛛となめくじと狸」宮澤賢治

幸田弘子先生の朗読を鑑賞します。 

宮澤賢治の「蜘蛛となめくじと狸」です。
 これは、2014年4月6日、藤沢でのプライベートな会での録音です。雑音もありますが、会場の雰囲気をご堪能ください。

 樋口一葉の作品やや源氏物語の朗読で有名な幸田弘子先生でしたが、晩年はこのような破天荒な物語にも取り組まれておられました。お客様を楽しませようとなさる気持ちが溢れています。
 コロナ禍がなかったら、これを舞台にかける準備をされていました。その舞台が実現しないまま、亡くなってしまいました。残念です。

 この録音は30名ばかりを前にしたプライベートな会での録音のため、雑音があったり、笑い声があったりしますが、幸田先生の「聞き手とつくる朗読」の雰囲気がおわかりいただけると思います。

   ※   ※   ※

 幸田先生の朗読は素晴らしかった!

 本ブログを通して、幸田先生の朗読の魅力の一端をおわかりいただけたでしょうか。
 今回をもって、「幸田弘子先生の朗読についての管理人のブログ」を一旦休会といたします。また、埋もれていた録音など発掘されましたら、再開いたします。
 ありがとうございました。


詩の鑑賞(11)「海の色さへ陽気です 時は楽しい五月です」ポール・フォール

 幸田弘子先生の朗読された「詩」を鑑賞します。 

 ポール・フォールの「空の色さへ陽気です時は楽しい五月です」です。
 これは、2019年6月27日、目白における会での録音(雑音等処理)です。

空の色さへ陽気です 時は楽しい五月です

    ポール・フォール

海は生垣(いけがき)の上に光ります、
海は貝殻のやうに光ります。
沖へ出て釣をたれたら楽しかろ。
空の色さへ陽気です、
時は楽しい五月です。

生垣の上に光つて見える
海はやさしい、やはらかい、
まるで嬰児(あかご)の手のやうだ。
撫でたら気持がさぞよかろ。
空の色さへ陽気です、
時は楽しい五月です。

微風が素早(すばや)い手でもって、
海と生垣を縫いつける、
針を動かす、光らせる。
空の色さへ陽気です、
時は楽しい五月です。

生垣のみどりの上に青海が、
蝶々のやうにひるがへる。
小舟のむれが動き出す。
空の色さへ陽気です、
時は楽しい五月です。

生垣の高さは海の深さです、
金色(きんいろ)の天道虫(てんたうむし)がはひまはる、
さても鯨(くぢら)のすがたのわるさ。
空の色さへ陽気です、
時は楽しい五月です。

頬辺(ほっぺた)を、涙がやさしく流れるように、
海は流れる涙です、
生垣の上を港へと。

しかし今、誰あって、
泣かうなどとは思はない。

「子供が港へおつこちた!」
「海へはまつて死んだとは、さて美しい死に態(ざま)だ。」

しかし今、誰あって、
泣かうなどとは思はない。

空の色さへ陽気です、
時は楽しい五月です。

   ※   ※   ※

 ・・・この詩、「病や戦争による理不尽な生き方死に方をさせられている裏でも、関係なく時はめぐる無常さや虚無感が漂う。」ということのようですが、エスプリであることは分かりますが、なんとも残酷な詩ですねえ。

ポール・フォールPaul Fort

わずか18歳で劇団「芸術座」を旗揚げし、メーテルランクらの象徴主義演劇を上演した。「芸術座」は3年で解散してしまったが、象徴主義をはじめとして新しい演劇の上演はリュニェ・ポーらによって引き継がれた。
(Wikipedia)

 


詩の鑑賞(10)「海のそよ風」マラルメ

 幸田弘子先生の朗読された「詩」を鑑賞します。 

 ステファヌ・マラルメの「海のそよ風」です。
 これは、2019年6月27日、目白における会での録音(雑音等処理)です。

 海のそよ風

    ステファヌ・マラルメ

肉体は悲し ああ! すべての書は読まれたり
逃げる! 彼方へ逃げる! 鳥たちのあの陶酔ぶりは
未知なる泡と 大空のあいだにいるからこそ!
何ひとつ 二つの目に映る 二つの古い庭も
海へとほとばしる この心 いかんともしがたく
おお 夜ごと! 白きあまりに筆をもこばむ

このうつろな紙 照らしだす
ろうそくの火の 荒れすさぶ明るさも
子供に乳ふくませる 若い女すらも
行こう かならずや! 帆柱ゆする船
錨をあげよ 異国の遠い光 めざして!

「倦怠」が、むごい希望に苦しみ
いまだに最後の別れ 振られる手旗を信じるとは!
あるいはこのマストすら 嵐をさそい
風のまにまに大波にあそばれ 傾くやも知れず
あてどなく 船は見えず船は見えず、緑の小島も見えぬまま……

しかし おお我が心よ
聞くがいい さまよう船乗りの歌を! 

   ※   ※   ※

 ここからは余談です。

ステファヌ・マラルメ(Stéphane Mallarmé)

 19世紀フランス象徴派の代表的詩人。

 代表作に『半獣神の午後』『パージュ』『詩集』『骰子一擲』(とうしいってき、『サイコロの一振り』とも)、評論集『ディヴァガシオン』など。

(出典:Wikipedia)


詩の鑑賞(9)「アホウドリ」ボードレール

 幸田弘子先生の朗読された「詩」を鑑賞します。 

 シャルル・ボードレールの「アホウドリ」です。
 これは、2019年6月27日、目白における会での録音(雑音等処理)です。

アホウドリ

   シャルル・ボードレール

船乗りはしばし なぐさみごとに
生け捕るよ 大きな海鳥 アホウドリを
こいつは海路の 呑気な相棒
深い淵の上 すべりゆく船につきまとう

こいつもひとたび甲板に降りれば
青空の王者なりしが 今やヘマで ノロマで
白い大きな翼 ダラリと垂らして
オールのように 左右にひきずる

この翼ある旅人 なんと不ざまで愚図なこと!
あのかがやく美しさが 今はみにくく 滑稽で! 
キセルの端で くちばしを突つかれ 
飛べないさまを ばたばたと真似されたり!

詩人は似ている この雲の上の王子に──
嵐の空を行きかうときは 弓矢をあざけるものの
ひとたび地上に舞い降りれば 罵声に囲まれ 
‥‥‥大きな白い翼も 歩く邪魔になるばかりなり

   ※   ※   ※

 ここからは余談です。

シャルル=ピエール・ボードレール(Charles-Pierre Baudelaire)

 ボードレールは詩という文学空間の可能性を最も早い時期に提示した詩人であり、彼の後に続くランボー、ヴェルレーヌ、そしてマラルメらに決定的な影響を与えたことから「近代詩の父」と称される。


1863年(ナダール撮影)
(出典:Wikipedia)


詩の鑑賞(8)「ミラボー橋」アポリネール/堀口大學

 幸田弘子先生の朗読された「詩」を鑑賞します。 

 ギヨーム・アポリネールの「ミラボー橋」です。堀口大學の訳です。
 これは、2019年6月27日、目白における会での録音(雑音等処理)です。

ミラボー橋       

   ギヨーム・アポリネール 堀口大學 訳

ミラボー橋の下をセーヌが流れ
われらの恋が流れる
わたしは思いだす
悩みのあとには楽(たのし)みが来ると

   日も暮れよ 鐘も鳴れ 
   月日は流れ わたしは残る

手と手をつなぎ 顔と顔を向け合おう  
こうしていると
われらのうでの 橋の下を
疲れた無窮の時が流れる

   日も暮れよ 鐘も鳴れ 
   月日は流れ わたしは残る

流れる水のように恋も死んでゆく 
恋もまた死んでゆく
生命(いのち)ばかりが長く
希望ばかりが大きい

   日も暮れよ 鐘も鳴れ 
   月日は流れ わたしは残る

日が去り 月が行き 
過ぎた時も 
昔の恋もふたたびは帰らない
ミラボー橋の下をセーヌが流れる

   日も暮れよ 鐘も鳴れ 
   月日は流れ わたしは残る 

   ※   ※   ※

ここからは余談です。

ミラボー橋 (仏 : Pont Mirabeau)
パリ、セーヌ川に架かる橋。フランス革命初期の中心的指導者オノーレ・ミラボーにちなむ。

アポリネール(Guillaume Apollinaire)
イタリア生まれのポーランド人で、フランスで詩人として活躍した。

詩「ミラボー橋」
この詩はミラボー橋の下のセーヌ川の流れを比ゆ的に表現して、時間の経過に伴う愛の喪失を扱っている、とされている。画家マリー・ローランサンとの恋とその終焉を綴ったといわれている。

アンリ・ルソーが描いた肖像画
アポリネールとローランサンを描いた絵が残っている。


詩の鑑賞(7)「竹」萩原朔太郎

 幸田弘子先生の朗読された「詩」を鑑賞します。 

 萩原朔太郎の「竹」です。
 これは、2017年6月4日、藤沢におけるプライベートな会での録音です。

 

   萩原朔太郎

光る地面に竹が生え、
青竹が生え、

光る地面に竹が生え、
青竹が生え、

地下には竹の根が生え、
根がしだいにほそらみ、
根の先より繊毛が生え、
かすかにけぶる繊毛が生え、
かすかにふるえ。

かたき地面に竹が生え、
地上にするどく竹が生え、
まつしぐらに竹が生え、
凍れる節節りんりんと、
青空のもとに竹が生え、
竹、竹、竹が生え。

  (詩集「月に吠える」より)


詩の鑑賞(6)「永訣の朝」宮澤賢治

 幸田弘子先生の朗読された「詩」を鑑賞します。
 宮澤賢治の「永訣の朝」です。
 これは、2017年6月4日、藤沢におけるプライベートな会での録音です。

永訣の朝

   宮澤賢治

けふのうちに
とほくへいつてしまふわたくしのいもうとよ
みぞれがふつておもてはへんにあかるいのだ
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
うすあかくいつそう陰惨(いんざん)な雲から
みぞれはびちよびちよふつてくる
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
青い蓴菜(じゅんさい)のもやうのついた
これらふたつのかけた陶椀(たうわん)に
おまへがたべるあめゆきをとらうとして
わたくしはまがつたてつぱうだまのやうに
このくらいみぞれのなかに飛びだした
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
蒼鉛(さうえん)いろの暗い雲から
みぞれはびちよびちよ沈んでくる
ああとし子
死ぬといふいまごろになつて
わたくしをいつしやうあかるくするために
こんなさつぱりした雪のひとわんを
おまへはわたくしにたのんだのだ
ありがたうわたくしのけなげないもうとよ
わたくしもまつすぐにすすんでいくから
   (あめゆじゆとてちてけんじや)
はげしいはげしい熱やあへぎのあひだから
おまへはわたくしにたのんだのだ
 銀河や太陽 気圏などとよばれたせかいの
そらからおちた雪のさいごのひとわんを……
……ふたきれのみかげせきざいに
みぞれはさびしくたまつてゐる
わたくしはそのうへにあぶなくたち
雪と水とのまつしろな二相系(にさうけい)をたもち
すきとほるつめたい雫にみちた
このつややかな松のえだから
わたくしのやさしいいもうとの
さいごのたべものをもらつていかう
わたしたちがいつしよにそだつてきたあひだ
みなれたちやわんのこの藍のもやうにも
もうけふおまへはわかれてしまふ
Ora Orade Shitori egumo)
ほんたうにけふおまへはわかれてしまふ
あああのとざされた病室の
くらいびやうぶやかやのなかに
やさしくあをじろく燃えてゐる
わたくしのけなげないもうとよ
この雪はどこをえらばうにも
あんまりどこもまつしろなのだ
あんなおそろしいみだれたそらから
このうつくしい雪がきたのだ
   (うまれでくるたて
    こんどはこたにわりやのごとばかりで
    くるしまなあよにうまれてくる)
おまへがたべるこのふたわんのゆきに
わたくしはいまこころからいのる

どうかこれが兜率(とそつ)の天の食(じき)に変わって
やがてはおまへとみんなとに聖い資糧をもたらすことを
わたくしのすべてのさいはひをかけてねがふ

    (『心象スケッチ 春と修羅』より)

 


詩の鑑賞(5)「汚れっちまった悲しみに…」中原中也

 幸田弘子先生の朗読された「詩」を鑑賞します。 

 中原中也の「汚れっちまった悲しみに…」です。
 これは、2014年4月6日、藤沢におけるプライベートな会での録音です。

 汚れっちまった悲しみに……
        中原中也

汚れっちまった悲しみに
今日も小雪の降りかかる
汚れっちまった悲しみに
今日も風さえ吹きすぎる

汚れっちまった悲しみは
たとえば狐の革裘(かわごろも)
汚れっちまった悲しみは
小雪のかかってちぢこまる

汚れっちまった悲しみは
なにのぞむなくねがうなく
汚れっちまった悲しみは
倦怠(けだい)のうちに死を夢(ゆめ)む

汚れっちまった悲しみに
いたいたしくも怖気(おじけ)づき
汚れっちまった悲しみに
なすところもなく日は暮れる……