「たけくらべ」の冒頭を<間>を入れずに読んでみます。
なんだかそっけないですね。内容は通じましたか?「たけくらべ」を読んだことのある人や、テキストが傍らにある人なら、この読み方でも理解してもらえるかもしれません。しかし、「たけくらべ」を知らない人にとっては、「ちょ、ちょっと待って!」です。
次に。幸田先生と同じところに<間>(ポーズ)をいれてみます。
ぷつぷつ切れているばかりで、わかりやすくなったとは言い難いですね。そうなんです。<間>と<ポーズ>とは別のものなのです。<間>は抑揚やリズムにも関係しているのです。
ここで、「まわれば」に抑揚をつけて読んでみます。
少し<間>が不自然でなくなりました。普通の読み方では「まわれば」はミソソミの程度ですが、ここでは、「ミシシレ」ぐらい、一「ま」から「わ」に跳躍しました。しかし、まだ幸田先生の「まわれば」とは、違います。音程の問題だけではないのです。ピアノで鳴らすミシシレではなくバイオリンのようになめらか。まるで名人が筆で書いた真円のように、打ち込みの力強さ、歪のない真円、そして「ば」の音の収め方、見事です。この「まわれば」があってこその<間>といえます。
この「ば」の収め方については研究の余地がありますので、いずれゆっくり語ることにしましょう。
もう一度、幸田先生の「たけくらべ」冒頭の朗読を聞いてみましょう。
少しご理解が進みましたでしょうか。
ご承知ではありましょうが、これは、幸田先生の「たけくらべ」の録音用の朗読であって、他の作品を読まれる時や舞台朗読では微妙に違う読み方をされることでしょう。また、朗読というのはこうあるべきだというのでもなく、他の朗読家の皆さんの朗読もそれぞれ素晴らしく、決して否定するものではありません。あくまで研究としての分析です。
幸田弘子さんの朗読を、名人と知り、感じて、聞いておりましたが、このように細かい分析をされた解説を読むのは初めてです。
なるほどと感じ入りました。
朗読は音楽の演奏のようだとは理解していましたが、改めてその深さを思い知りました。
この後の記事を楽しみにしております。