「たけくらべ」冒頭(1)

 幸田弘子先生が樋口一葉の「たけくらべ」を録音室で朗読されたものを聞いてみましょう。(朗読CDシリーズ「心の本棚~美しい日本語」名作を聴く より)

 「たけくらべ」という題名を読まれる声はあくまで穏やかで、「これから、たけくらべ、というノスタルジックな物語を読みますよ」と知らせてくださいます。そして息を揃えるための緊張の<間>。
 おもむろに、樋口一葉が語りかけるように始まります。
 「まわれば」で、ふと息をするちいさな<間>があります。聞き手が「まわればって何を?」と興味を持ってくれる瞬間です。おもむろに続きます。「大門の見返り柳<短い間>いとながけれど」。ここで「ああ、吉原の話か。見返り柳が遠景にあるんだ」と納得してもらえます。

 幸田先生は、なぜ、「まわれば」で一旦<間>をいれられたのでしょう。

「まわれば」は何にかかるのでしょう。「大門」でも「みかえり柳」でもありません。「いとながけれど」、つまり、「大廻りすれば、ずいぶん遠いけれど」と続いてくるのです。この構造がわかるように、「まわれば」で<間>があるわけです。この二つの言葉にはさまれて「大門の見返り柳」が入ります。んぜ、「見返り柳」で<短い間>があるのでしょうか。それは、現代文的にいうなら「大門の見返り柳まで」と「まで」を入れてもいいようなところだからです。もっとも、ここに「まで」を入れたらリズムが台無しになります。
 そこで、「まわれば・・大門の見返り柳・いとながけれど、、、」という<間>になっているのでしょう。

 もう一度、この出だしの読み方、味わってください。

 しかし、<間>だけで解決する問題ではなさそうです。