幸田先生の<間>の素晴らしさは、計算されたもの、ではなく、先生の「作品に対する読みの深さ」と、長年にわたって積み上げられた経験、そして「聞き手の呼吸を引き寄せる感性」に裏付けされたものだったのでしょう。
たとえば、題名と出だしです。先ず、幸田先生が読まれた宮沢賢治作「蜘蛛となめくじと狸」の冒頭をお聞きください。(30名ほどの会でのライブ録音です)
「蜘蛛と<間> なめくじと<間> 狸 <緊張の間> 蜘蛛と、銀色のなめくじと、それから、顔を洗ったことのない狸とは・・・」と続きます。ゆっくり読む、というのとまた違うと思いませんか。
題の読み方は、あくまで、一語一語を手渡しておられます。続く、読み始めまでの緊張感。
オーケストラの指揮者が、楽団の方を向いて、さっと指揮棒を挙げる、今、鳴り出すか、今、鳴り出すか、と集中する、あの感じに似ています。楽団と聴衆の、息の揃う瞬間です。
朗読も同じです。聴衆の全員が、さっと耳を傾けるワクワクした緊張の瞬間があるのです。そして、おもむろに「声」が始まります。この声に魂がこもっていないと、聴衆はすっぽかされた感じになります。
続く本文でも、この<間>は随所に現れますが、いかに小さな<間>でも、聞き手との息を合わせる魔法の力があるようです。<間>は、この「緊張感」と、「固唾をのむ息」と、「魂のこもった声」と、三拍子揃って成り立つもののようです。