「パトス」2013 VOL.84 P.11より
幸田先生の場合、樋口一葉の作品を読むに当たって、一葉になりきって読まれます。読む作品を研究するだけでなく、他の作品や日記など、あらゆる手掛かりで、作者の心に近づこうとされました。
そして圧巻は、本を持たれないことです。作品が身にしみこんでいますから、本はかえって邪魔になるのです。じっと聴衆の方に目を向けて読まれます、というより語られます。
舞台の他に、毎年の一葉忌に一葉ゆかりの寺・法真寺の本堂の仏像の前で朗読されましたが、「一葉本人が来て語っているようだ」「一葉さんが乗り移っているのだ」と評されてきました。
もっとも幸田先生ご自身は、「仏さまに背を向けるなんて申し訳ない」とすまなそうでした。