前回は「廻れば大門の見返り柳いと長けれど」までを研究してみましたが、今回はその先を研究しましょう。
「お齒ぐろ溝に燈火うつる三階の騷ぎも手に取る如く、明けくれなしの車の行來にはかり知られぬ全盛をうらなひて」の部分を、幸田先生は、あまり大きな抑揚をつけず、むしろすらすら心地よいリズムに乗って読まれます。情景の描写的なところです。
余談になりますが、吉原の遊郭は3階建ての立派な建物も多かったようです。町全体を囲む堀、すなわち「お歯黒どぶ」は五間、約9mもあったそうです。もっとも明治の初期には2間ぐらいまで埋め立てたそうですから一葉がみたのは4mぐらいだったかもしれなせん。
(出典: http://mag.japaaan.com)
やはりこういうイメージを持って読むと伝わり方も違うと思います。聞いていただくためには、読み手が充分情景を把握しておかなければなりません。
続いて「大音寺前と名は佛くさけれど、さりとは陽氣の町と住みたる人の申き」ですが、「(歓楽街の喧騒と対比して)大音寺前と名は佛くさけれど」と、ちょっと滑稽に述べています。
立て直して「さりとは陽気の町と」。この「さりとは」の「さ」は高く、「り」まで一気に下がり、「陽気の町と」は一番しっかり伝えたいことですから丁寧に、陽気に。そして満を持して「住みたる人の申き」と、しっかりテンポを落として締めくくられます。
この冒頭の文章は、「まわれば」で聞き耳を立てていただき、地理的説明、界隈の雰囲気の説明があって、「(主人公たちが暮らす街は)、陽気な町なんですよ」と大事なことを伝えています。幸田先生の読み方で、その構造がはっきりわかります。
もうひとつ、特にこの収めの「き」の力加減に聞き耳を立ててください。実に納得です。渡してくださった、溜飲が下がったとはこんな感じをいうのでしょうか。
それでは、もう一度、幸田先生の「たけくらべ」冒頭の朗読の一文を聞いてみましょう。
たったこれだけの文章の中ですが、幸田先生の天才的な「演奏」を感じるのは私だけでしょうか。