「泉田行夫の『蜘蛛の糸』」朗読と解説(6)

 『蜘蛛の糸』の朗読の研究、今回は(二)の後半、いよいよ糸が切れるシーンです。
 (二)の最初は不気味な地獄の情景、カンダタのもとへ降りてくる蜘蛛の糸、喜び勇んでた繰り登るカンダタ、はるばる登って一息つくカンダタ、が描かれました。

 ふと見ますと蜘蛛の糸の下の方には罪人たちが同じように糸をよじ登ってきます。カンダタは焦ります。糸が切れて地獄に落ちるシーンは。「泉田行夫の『蜘蛛の糸』」朗読と解説(1)で聞いていただきましたが、今回は、その少し前からの解説です。糸の切れるシーンの迫力は、この少し前の部分の、カンダタの焦り、そしていとの切れるた事実を淡々と知らせるところの対比で聞いてみましょう。

 「ところが、ふと気が付きますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限りもない罪人たちが、自分の登ったあとをつけて、まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へと一身によじ登って」きますね。このカンダタの驚き。喜びの絶頂から突き落とされます。ここの変化もはっきりと表現したいものです。

 さあ、このあとはカンダタの焦りを出しますが、これもカンダタになった気持ちで、いらいらした表現で読んでいくと面白いでしょうね。この焦りがだんだんと高潮していって、ついに罪人たちを怒鳴りつけます。

 「こらあ~、罪人どもお~、この蜘蛛の糸は俺のものだぞ~、おまえたちはいったい誰に聞いて登ってきた~、おりろ~、おりろ~、と喚きました」。カンダタの声はぶら下がっている何十人、何百人の罪人たちに聞こえるようにと、「こら」ではなくて、遠くまで届くような、「こら~」と、こういう表現がいいと思います。

 さあ、そのあとは蜘蛛の糸が切れて、カンダタの落ちていく場面ですが、こういった、落下する早い場面の表し方は、文章の途中に入っている句点や読点をとってしまいまして、「ですからカンダタもたまりませんあっという間もなく風をきって独楽のようにくるくる回りながらみるみるうちに闇の底へまっさかさまに落ちてしまいました」と一気に読み下すと、スーッと落ちていく様子が出てまいります。

 その後は、もとの静寂に帰りますね。その表し方は、今の言い方と反対に、短く、プツッ、プツッ、と切って読むと、その感じが出ます。「あとには・・・ただ・・極楽の蜘蛛の糸が・・きらきらと細く光りながら・・・」、こんな調子ですね。
 いかがですか、このあたりが、「蜘蛛の糸」の一番盛り上がって、ふたたびもとの動きのない静に帰る、山場といえましょう。

 今回のこの部分を通して朗読で聞いてみます。

 ところがふと気がつきますと、蜘蛛の糸の下の方には、数限もない罪人たちが、自分ののぼった後をつけて、まるで蟻の行列のように、やはり上へ上へ一心によじのぼって来るではございませんか。カンダタはこれを見ると、驚いたのと恐しいのとで、しばらくはただ、莫迦のように大きな口を開いたまま、眼ばかり動かして居りました。自分一人でさえ断れそうな、この細い蜘蛛の糸が、どうしてあれだけの人数の重みに堪える事が出来ましょう。もし万一途中で断れたと致しましたら、折角ここへまでのぼって来たこの肝腎な自分までも、元の地獄へ逆落しに落ちてしまわなければなりません。そんな事があったら、大変でございます。が、そう云う中にも、罪人たちは何百となく何千となく、まっ暗な血の池の底から、うようよと這い上って、細く光っている蜘蛛の糸を、一列になりながら、せっせとのぼって参ります。今の中にどうかしなければ、糸はまん中から二つに断れて、落ちてしまうのに違いありません。
 そこでカンダタは大きな声を出して、「こら、罪人ども。この蜘蛛の糸は己のものだぞ。お前たちは一体誰に尋いて、のぼって来た。下りろ。下りろ。」と喚きました。
 その途端でございます。今まで何ともなかった蜘蛛の糸が、急にカンダタのぶら下っている所から、ぷつりと音を立てて断れました。ですからカンダタもたまりません。あっと云う間もなく風を切って、独楽のようにくるくるまわりながら、見る見る中に暗の底へ、まっさかさまに落ちてしまいました。
 後にはただ極楽の蜘蛛の糸が、きらきらと細く光りながら、月も星もない空の中途に、短く垂れているばかりでございます。

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 いかがですか? あくまで朗読であって、講談のように、読み手の「語りの芸」でドラマを聞かせているものではありません。文学作品としての文章の持つ力、持つ雰囲気を大切に、聞き手に作者の意図を手渡しています。