「生の声」の魅力

 これまで、幸田弘子先生が、いかに作者の意図を誠実に伝えることを大切にされていたかをお話ししてきました。もう一つ大切にされていたことは、日本語の美しさを「生の声」で伝える魅力です。
 幸田先生の舞台朗読はマイクを持たないことが前提です。ナマの人間がナマの声で語りかけることを大切にされました。 
 「生の声からは、作品そのものがもっているはずの微妙な息づかいや間、音色のこまかい綾のようなもの、そして何よりも、作品本来が生まれたときにあった<いきいきとした感じ>が伝わるからではないか、と思うのです(「朗読の楽しみ」p.32)」、とおっしゃっています。
 たしかに、家でCDを使って聞く音楽と、わざわざでかけて演奏会場で聞く生演奏では、心のわくわく感が違います。音楽会にでかける前から音楽会は始まっている感じです。そして会場の緊張感。
 朗読の場合、語り手と聞き手の、息づかいのそろう一体感。
 幸田先生は「朗読は一期一会」とおっしゃいます。朗読は語り手と聞き手がいて、語り手がお渡しし、聞き手が受け取る行為です。聞き手と一緒に朗読はつくられる。朗読はその都度、一回限りのものです。その場でどんな化学反応が起こるか、その < いきいきとした感じ > が聞き手を前にした朗読の醍醐味でもあり、生の声でこそよく伝わるということではないでしょうか。